かばんの中に2つの封筒が入っている。
この2通の封書は、実は一週間ずっとかばんの中にいる。
朝身支度を終えて中身を確かめてかばんを締めるとき、「あ、そうか駅に行く途中で出そう」と思ってファスナーを閉めるのだが、「あー、満員電車やだなー、会社行くのだるいなー、しんどいなー、休みたいなー、休んじゃおうかなー」などと悶々としつつ玄関の鍵をかけてエレベーターにのってゴミを出して駅に向かうという動作をしていると、封筒のことなどいつの間にかすっかり頭から消え去っている。
満員電車で席取り合戦に今日も負け、無駄な体力を使い、日本人の生産性が上がらないのはひとえに満員電車っていうこの通勤形態のせいだよな、朝イチの時間が一番効率いいハズなのにこんなもったいない時間の使い方が当たり前になってるのおかしいよな、みんな一緒に仲良く出勤なんてアホな習慣は一刻も早く止めるべきと脳内で愚痴りつつ、ひいこらふうと会社について荷物をかばんから取り出したところで、再度封筒と目が合う。そして、「あ、しまった出し忘れてた!しょうがない、昼休みに出しに行こう」と思う。
昼休みのチャイムが鳴ると、さー今日は何を食べるかなー、洋食にするか和食にするか、食べ過ぎると眠くなるから和食ならご飯少なめで、でもお腹減ったなーということで頭がいっぱいになっていて、かばんから長年の無意識の習慣で取り出されるのは財布だけ。封筒はおとなしく眠っている。
そもそも、昼休みは60分って誰が決めたのだろう。60分って短いよね。
会社から出て、エレベーター渋滞をかいくぐり、ビルを出て飲食店街までいくのに10分はロスする。昼休みになってもすぐに席を立たずにキリのよいところまで仕事を片づけてたりなんかしたら20分のロスだ。
ましてやどこで食べるかすぐに決まらないと最悪だ。優柔不断ではリーマン街の昼食戦争に決して勝ち残れない。
店を決めて、それから食事を注文して食事が出てくるまで、いや注文を決めるのにまず5分、注文した品が出てくるのに5分、混んでたり忘れられてたりなんかしてしまうと10分、ここでもうすでに30分は経っている。
急いでご飯をかっ込んでとしても15分、これで45分だ。
会計を済ませ、急いで会社に戻り、またエレベーター渋滞に巻き込まれて10分。
すでに55分消費。残るは5分。
トイレに寄って歯を磨いてたりなんかしてたら確実に5分越えてしまう。
ええい、歯を磨くのは後にしようと席に戻って椅子に座った途端に昼休み終了のチャイムを聞く。
いったいこんな慌ただしい毎日に誰がした。
いやリーマン選んだの自分ですけどね。選んだっつーか、それしかないっつーか。
こんな慌ただしいことやってるから日本は生産性が低いんだよ。せわしなく動いていればなんか忙しいような気がするけれどそれ錯覚だから。
ほらよく言うじゃないですか、インスピレーションは風呂場やトイレなどの一人でゆったりできる空間で湧くことが多いって。
いいアイデアもリラックスしてこそですよ。ユリイカ!
朝の満員電車だけでもうんざりなのに、お昼に同じビルの人間とわざわざエレベーター渋滞競争までやってられますかっていうね。
なのでたまに家でオニギリ握って持っていく。昼飯なんてオニギリだけで十分ですよ。もういい歳なんでそんな栄養摂り過ぎてもね。
会社から出なければ往復20分の時間分だけ余裕ができる。20分あれば一眠りできる。歯も余裕で磨ける。外になんて出なくていいや、と思う。
封筒はかばんの中で眠ったままである。
さて今日もなんとか生き延びた、さー帰るべーと帰り支度をする。荷物をかばんにつっこんだところでようやく再び封筒と目が合う。・・・そういえばいたね、お前。
帰り道で出さなきゃなーとかばんを閉じ、朝と同様に満員電車に乗る。ターミナル駅のエスカレーターにあたる車両に乗り込み、誰かが乗換えで席を立つのを待つ。運がよいと座れる。
朝と違い疲れているので、座れたが最後だ。
最初のうちこそスマホや本などで時間を有意義に使っている気分に浸るものの、半分もしないうちに上のまぶたと下のまぶたは邂逅したがるようになる。ここで二人の逢瀬を止めるほど私は野暮じゃない。
気がついたら最寄り駅に着いており、慌てて席を立つ。改札渋滞を無事通過し、さて夕飯どうしよう。冷蔵庫に何が残っていたっけ。とりあえずスーパー寄っていくか。
そしてスーパーで買い物をし、荷物を持って家に帰り着く。うちの女王様が待ってましたとばかりに餌をねだりにくるので何はなくともまず猫のご飯を作ってあげる。はい、女王様どうぞ。うむ、苦しゅうない。がつがつがつ。
それを横目で見ながら人間様の分の夕飯を作り、食べ、満足して一休み。食後の珈琲などを入れてああ、今日も一日疲れたよー、癒してよーと猫のお腹に顔をうずめてもふもふもふ。
ネットみたりテレビみたり本読んだり猫と遊んだり、ひとときの安らぎにほうっと息をつきつつ、さて明日の準備でもするかとかばんを開け。
・・・いたよ。封筒さん。
こんばんは。
明日はちゃんとポストにいれてあげるからね。
そんなことを、ここ5日ほどばかり繰りかえしている。
思うに、この2通の封筒は、私のことを好きなんじゃなかろうか。だからなかなか私の元を離れないのだろう。
そして私もこの2通の封筒にもはや愛着が湧いてしまっている。だからきっと無意識に手放したくないと思っていて、ポストに入れるのを忘れてしまうんだろう。
相思相愛。うむ。いったい何の問題があろうか。
そんなへ理屈ストーリーを脳内で捏ねながら、ポストに投函されるべき2通の封筒は、今もなおおとなしくかばんの中に鎮座している。
人生100年時代。ということは少なく見積もってもまだあと30年はある。まだまだ先は長い。焦ることはない。
3年経ってようやく思いついて手続きする気になった私の名前と住所は、そうしていまもまだ独身時代のままなんである。